本日3月10日、
1945(昭和20)年のこの日は、米軍による爆撃で東京の下町が一夜にして焼野原となり、
その死者10万人と言われる『東京大空襲』があった日です。
歳の離れた私の長姉は、この大空襲の空の下を一晩中逃げ惑った経験を持っていて
その日のことなど聞かされながら私は大きくなりました。
『平和』な世界を意味する私の名前はその姉がつけてくれました。
そして、明日3月11日は忘れえぬ2011年のあの東日本大震災が起きた日。
その復興がまだ道半ばというのに今年の元日にはまた能登半島地震が。
世界ではあちこちで戦争や侵略や内紛が続いていてその惨状を知るにつけ
心休まることがありません、こんなことであっていいはずがないのに…。
ただただ、どうかどなたもご無事で
そして、早く穏やかな暮らしが戻りますようにと祈るばかりの日々です。
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この日が近づくたびに毎年のようにこの日のことを書き
そして、つい
これらの日にまつわる自分の過去記事をいくつも読み返してしまいます。
<追記>1945(昭和20)年3月10日のこと
家族の中で長姉と次姉だけが疎開せず東京に残っていて
一晩中空襲と火事から逃げ惑った二人の姉たちは
朝になってそこだけ焼け残っていた我が家を発見したそうです。
焼け残った小さな狭いその家に無事であった知り合いが続々と集まって来たとも。
そして、その後、職場への道を往復した時には
往きにはそれと気づかずにただただ夢中で歩いた道に、
黒焦げになった死体がたくさんあることに帰り道で初めて気づいたとも。
こんな話を長姉は折に触れ話したのですが
しかし、何故か次姉はその時の話を一度もしたことがありませんでした。
同じ体験をしてもそれぞれの心に落とした影は違うのだったのだと
私は後年になってからやっとそのことに気づいたのでした。
いただいたコメントの返信として書いたのですが
皆さんにも読んでいただいた方がいいかなと思い直し<追記>としました。(2024年3月11日)