イタリアの旅(その5) フィレンツェ・Ⅰ
2013年 06月 12日
フィレンツェは「華の都」と形容されるに恥じない華やかな町でした。
その地名は、古代ローマ時代に「花の女神フローラの町」を意味する「フロレンティア」と名付けられたのに由来するとのこと。
今日に至るまで連綿とその息吹を保ち続けていることに敬意すら感じてしまいます。
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第5日 5/17(金)(その4)から続きます。
ビザンティン美術の粋、モザイクの美しさに魅せられたラヴェンナから約205kmを走って、
いよいよルネサンスの華フィレンツェへやってきました。
ドゥオーモにほど近いホテルでチェックインを済ませ、レストランへ夕食に出かけます。
元貴族の館だったというこのホテルは、ヴェネツィアのホテルに勝るとも劣らない「迷路な?廊下」。
で、レストランへ出かける時間になってもおひとり行方不明です。
焦る添乗員さん…。
到着早々、近代的な建物を建てられないっていうのもなかなか大変なところがあるなあと思わされたひとこまでした。
第6日 5/18(土)
朝食後の一時間を使って、中央市場へ行ってみました。
最初に目に入ってびっくりした臓物は、
TRIPPA(トリッパ)と呼ばれるモツ煮込みに使われるようです。
八百屋さんで売っていた「ズッキーニの花」の天ぷら(FRITTO DI FIOR DI ZUKKA)と素揚げにした「アーティーチョーク」を旅のどこかで食べました。
初めて食べましたが、どちらもなかなかおいしかった。
紅い莢のいんげん?は、私はあんまり見たことのない野菜です。
魚屋さんではマグロの赤身のようなものを売っていたけれど、あれは何かしら?
刺身?まさか!?
⇐市場前の道。露天商が店を開け始めている。正面にドゥオモのクーポラが見える。
①サン・ジョバンニの洗礼堂 / ドゥオーモ / ジョットの鐘楼
八角形の建物は白と緑色の大理石モザイク、すっきりとして美しい。
「花束みたい」と思ったら、正式な名前は「サンタマリア・デル・フィオーレ(花の聖母)大聖堂」と言うんですって!
でも、床が素敵にデザインされています。
あの展望台には、午後の自由時間に登ろうと思っています♪
でも、この下の部分(第1層)がほんとは見所だったの(写真なし(^^ゞ)。
②シニョーリア広場 / ヴェッキオ宮殿
「政庁」を意味するシニョーリア。
フィレンツェ共和国の政庁舎として始まり、のちにメディチ家の宮殿だったこともあるヴェッキオ宮殿。
かつてここが政治の中心地であったことが伺えます。
広場ではメディチ家の式典や処刑などが行われ、
右手の回廊のような場所は雨の日でも集会などができるようにと造られた場所とか。
この広場にはダビデ像をはじめとしてたくさんの彫刻があり、
これらに囲まれて政治を語っていた人々の姿を想像すると、圧倒される思いがします。
③ヴェッキオ橋 / ウフィッツィ美術館
橋の2階部分が「ヴァザーリの回廊」で、ここはメディチ家の人々が行き来するために造られたんだそうです。
ヴァザーリの回廊がここまで伸びているのがよくわかります。
ところで、「ウフィッツィ」って「オフィス」のことなんですって…
ウフィッツィ美術館はかつてメディチ家の事務所だったんですね!
ウフィッツィ美術館の館内撮影はもちろんNOですが、
この一部分だけが外の景色の撮影OKになっていました。
クレーン車が無粋ですが、
古い建物ばかりなので、町の中はどこかしらで補修中の場所がたくさんあるのでした。
⇐ウフィッツ美術館中庭とヴェッキオ宮殿、ドゥオモのクーポラ。
ウフィッツ美術館は実に素晴らしかった。
メディチ家の勢力を目の当たりにすることになりますが…名画の数々があとからあとから現れるのです。
中学生になって初めて手にした美術の教科書で見て、
子どもながら「なんて美しい絵なんだろう!」と思ったボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」や「春(プリマヴェーラ)」。
…この目で見ることがあるだなんて、その頃は想像だにしませんでした。
ガイドさんによると、「春」の絵に散らされた花々は200数十種類もあるのだとか。
食い入るように見つめてみれば、ほんとうにさまざまな花が描かれているのでした。
ここは、ガイドさん(イタリアの大学で美術を学んだという在伊の日本人女性。素晴らしかった)がいなかったら、
50mも進まないうちに一日が終わってしまいそうでした。
ウフィツィ美術館3階テラスから見る左から ジョットの鐘楼,ドゥオーモのクーポラ,ヴェッキオ宮殿。
折しも、どこからか正午を知らせる鐘の音が響いてきます。
もしや、ジョットの鐘楼から!?
☆長くなりましたので「フィレンツェ・Ⅱ」に続きます(こちらから)。