光の闇
2015年 03月 09日
我が家の最寄り駅に降り立って改札口へ向けて歩くと
ホームの真ん中に途方に暮れた様子で立っている白杖の人がいた。
「どうなさったんですか?」
「改札口の方向がわからなくて…」
私の肩に空いたほうの手を置いてもらい、そのまま一緒に前へ進む。
「あと4・5歩で階段です」そう声をかけてから階段を上り始めると
「…あっ、下るのかと思ってました」。
ごめんなさい…。
私は「見えない」ということがどういうことなのか
まったくわかっていなかった。
佐伯一麦(さえき かずみ)の小説には、ドラマチックな出来事はほとんどと言っていいほど何も起こらない。
ただ淡々と市井の人々の日常が描かれることが多い。
しかし、この『光の闇』で佐伯は様々な欠損感覚(視覚、聴覚、臭覚、触覚、記憶…)を持った人々の日常の世界を描くことを試み、少しだけ?普通の人々とは違った市井の人々の日常を私たちに届けてくれた。
佐伯自身アスベスト禍に遭って「身体の内側に想いを寄せることが多くなった」と言っているが、
私自身も片方の耳がほとんど聞こえず、欠損感覚を抱えて生きている方たちに対しては、ほかの人より少しは感覚的に敏感なはずと言う想いを持っていたにもかかわらず…の前述の白杖の人との出会いだったのだ。
知ろうとしなければ何も知らないのと同じ。
読み終えてすぐには、さまざまな欠損感覚の具体的な身体感覚が少しだけわかったような気が…した。
佐伯は仙台に住んでいてあの3月11日も東北におり、『光の闇』ではその日のことにも少し触れている。
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☆佐伯一麦『光の闇』 扶桑社 2013.4.初版.
☆ブックカバー挿画は松本竣介『水を飲む子供』岩手県立美術館蔵。
松本竣介は、旧制盛岡中学に入学した年に、脳脊髄膜炎のために聴覚を失った。
佐伯は『光の闇』の中で、松本の画に関して「聴覚を失う前の音の記憶に、画家が耳を澄ませているけはいが画面から感じ取れるような気が僕にはした。」と述べている。
そんな中でずーっと生きてきました
戸惑いもありましたが、自分なりに
暮らしてきた。もちろん周囲の理解と協力があったからですが
それぞれになんらかのハードルを飛び越えているのですねぇ
何らかの障害を持った人に対し、いち早く手を差し伸べられる人はなかなかいません。
手を差し伸べる最初の人になろうと思いました。
3月11日が近づいてきましたね。
こんのさんの「自分なりに暮らしてきた」という言葉に
さまざまな実感がこもっていて胸打たれました。
>それぞれになんらかのハードルを飛び越えているのですねぇ
知らないでいることがたくさんあるんだろうなぁと思います。
助け合えることは助け合って生きて行きたいです。
優しいってこともないのですが、白杖の方には手を差し伸べやすいのです。
迷っている様子が見られるときは声をかけて、
引っ張ったりせずに、腕や肩につかまっていただいて案内するとよいようです。
赤ちゃんを連れている若いお母さんには時により「可愛いわね~」と声をかけます。
みなさん一瞬ちょっとびっくりしますが、とても喜んでくれます。
私なりの「ちょこっとボランティア」です。
ちょっとおせっかいかしら(^^;
小さなことでも助けられたり助けたり・・・・・
障害のある人の全てを理解することなんて出来なくて当然なので少しだけでも『頼って安心』して頂けたら嬉しいです~
カメラを幾つも持って公園などで写真を写していると必ず『シャッターを押してください』と言いながらニコニコしている人がいます~
カップルや家族連れが多いですが私はいつも3枚写します
背景の素敵な所で2枚と小ちゃなジョークを言ってニコッとしてくれた時に1枚写します
その写真が相手にとって同じアルバムの中にいつまでも貼られるようだといいな~と願いながらカメラを渡します~♪
私に今出来る些細なボランティアです・・・・・(#^.^#)
お見舞いに行ってきました。
「食べているものが見えないと、味まで分からなくなってくる。
何を食べても美味しくない…」と言われて、
改めて自分の想像力の及ばない世界を思い知りました。
次は、何か香りの良いものを持って行こう、と思っています。
ひとは嬉しいことや楽しいことがあれば活力も出て、
免疫力も上がるんではないかと思います。
喜んでもらうことは自分もまた嬉しいことなので
お節介でも「ちょこっとボランティア」続けたいって思います(^^ゞ
小さなことでも助けたり助けられたりが自然にできるといいですね。
『光の闇』には臭覚を失くしたお寿司屋の奥さんの話が出てきます。
私は一時短期間でしたが「味覚」を失くしたことがあるので
最初「味覚」が何故ないんだろうと思っていましたが
「味覚」は「視覚」や「臭覚」による部分もあるということなんですね。
お知り合いによい香りで美味しさを味わっていただけるといいですね。