そらいろのパレット

sorairo02.exblog.jp ブログトップ

黎明期の女性たち

朝ドラ『マッサン』が終わった。
途中(熊虎さんが出たころ(^^ゞ)から毎回見逃さないようになったんだけれど
回を重ねるにつれ、リタ役のシャーロットさんが役の上だけでなく
彼女自身もどんどん日本に溶け込んでゆくらしい様子が見ている側にも伝わって来て、
それがとても興味深かった。
シャーロットさんが演じた竹鶴リタさん、素敵でしたね。

d0288144_23355731.jpg

リタさんが国際結婚をして日本にやって来たのは1920(大正9年)年。★竹鶴リタ(Wikipedia)。
「まだまだ国際結婚など理解されない時代によくもはるばるやってきたものだなぁ」
などと想いを巡らせていたら、何故かふっと「黎明」という言葉が私の胸に浮かんできた。

「黎明」…
そう言えば「あの人」もリタさんと同じ時代を生きたのではなかったかしら。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

一柳満喜子(ひとつやなぎ まきこ)さんのこと。
彼女がヴォーリズと結婚したのは1919(大正8年)年のことだった。

d0288144_16444617.jpg


<ハイド記念館(旧清友幼稚園)保育室再現 / 壁の写真はヴォーリズ夫妻>

昨秋、近江八幡を訪ねた
旅の目的は彼の地のヴォーリズ建築を見ることで、歩き回った中のひとつにハイド記念館があった。
私はそこで、一柳満喜子さんの遺した仕事の数々と人となりを知ることになる。

d0288144_22050064.jpg


<ハイド記念館 / 現役で使われている講堂も素晴らしい>

ヴォーリズ夫人の一柳満喜子(1884~1969)は、
明治4年に岩倉使節団に加わって留学した津田梅子ら日本の女子教育を担う第1世代の教え子で、
彼女自身もアメリカに留学し、のちに近江八幡の地に多くの社会教育事業を設立して、
いわば第2世代の女子教育家としてその力を発揮することになった。

d0288144_22561302.jpg


<ハイド記念館 / 旧保健室の小さなベッドルームの丸窓から園庭を見る>

初めに設立した清友幼稚園では「よく見る目、よく聞く耳、よく考える頭、よく働く手足」を合言葉に
子どもたちのための教育に尽力したとのこと。
彼女の成したさまざまなことを知るにつけ、
女子教育を担う黎明期の一人の女性が一地方に花開かせたものの大きさに、
私はただただ驚くばかりだった。

d0288144_22060982.jpg


<ハイド記念館階段>
ヴォーリズ建築のハイド記念館は旧清友幼稚園の園舎で、
今も当時と変わらないたたずまいを保っていた。
記念館の階段は、小さな子どもたちが転んでもけがをしないように丸みを持たせてあり
蹴上(段差)も手すりも子どもたちが上り下りしやすいように低めにできている。

d0288144_10085601.jpg

<子どもたちの荷物を掛けるフックが並ぶ窓下>
保育室は、子どもたちが外の景色を見れるようにとずいぶん低い位置からのガラス窓となっていて
こんなところにもヴォーリズ夫妻の子どもたちに対する愛情の深さを感じることができる。



私が満喜子夫人に興味を持ったのは
「当時としてはとっくに婚期を過ぎているにも関わらず父親からの結婚の勧めを嫌ってアメリカへ留学した」
と言う解説をこの旅のどこかで見たことからだった。
華族の令嬢が、愛情のない結婚を嫌って勉強のために海外へ行き帰国してのち、
海外から日本へやって来ていた男性と結ばれたのだ。
なんとドラマチックなことではないか。

★一柳満喜子(Wikipedia
ヴォーリズと歩んだ人々/一柳満喜子


女性が男性の付属物でしかなかったような時代にありながら
理想と希望を持ち自分の信じた道を進んで行った竹鶴リタさん、そして、ヴォーリズ夫人・一柳満喜子さん。
凛としたその姿はまばゆいばかりに光り輝いて、現代にあってもなおなんと美しく見えることだろう。



::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


私はたまたま先週、原田マハの『奇跡の人』を読んでいたのだけれど
偶然ながら、この小説の時代背景がリタさんや満喜子さんとほぼ同じだったのにちょっとびっくり。
で、ついでに少しだけ…。


岩倉使節団の留学生として渡米し、帰国後は日本に女子教育を広めようと理想に燃えていた去場安は
伊藤博文を介して弘前の名家介良家の娘れんの教育係として招かれる。
屋敷の奥の蔵に閉じ込められて「けものの子」のような扱いを受けていた三重苦のれん。
自らも「回復の希望のない弱視であることを絶対に他人に言うな」と言われながら育った安。


青森県弘前、金木を舞台に、
去場安(さりば あん)、介良れん(けら れん)、そして狼野キワ(おいの きわ)の3人の女性たちが、
「見えない・聞こえない・しゃべれない」介良れんの人生の道筋をどう付けて行ったかを感動的に?描き出す。

d0288144_17404340.jpg


時として引き込まれる場面もあれば、ちょっと無理やりな展開ではと思う場面もあり、
決して面白くない小説ではないけれど
なんだ結局あの『奇跡の人』の話しだったんじゃないというオチが付いて私は少し興ざめ…だったかな。
のちに、盲目の三味線弾きとして人間国宝になるキワを語り手として書けば、
もう少しふくらみを持たせられたんじゃないかしらとも思う。

それにしても…気が付かれたかしら
去場安=さりば あん=アン・サリバン
介良れん=けら れん=ヘレンケラー

『楽園のカンヴァス』で面白い読み物を提供してくれた原田マハなのに…なんだかなぁ。
紹介しておきながら「ごめんなさい」だけれど、ちょっと残念。

★原田マハ『奇跡の人 The Miracle Worker』双葉社 2014.10.第一刷発行.


なんだか長くなりました。
最後まで読んでくださってありがとう。



by pallet-sorairo | 2015-03-29 09:30 | 街暮らし | Comments(14)
Commented by unburro at 2015-03-29 13:25
熊虎さん、良かったですよね!
風間杜夫の底力を感じました。
つかこうへいの舞台で、彼を見たのは、遠い昔で、
もう失われた時代の様に思われるのに、
こんな風に力強く演じ続ける彼を見ていると、
森の中で、ひときわ枝葉を広げる大樹を見る心地がします。

近江八幡!ヴォーリズ!は、次に行きたい所です。
その夫人の事は、全く知りませんでした。
小泉八雲とその夫人とかも、凄いですよね。
Commented by インレッド at 2015-03-29 21:02 x
今晩は、
私も毎週見て居ましたよ!!。
土曜日は早朝から山でしたが、夜の11時の再放送を見ま
した。
この時代の地主さん達は土地を減らさないため、血族結婚
が多かったようです。その為眼の見えない人や、夜盲症の
人が多く生まれました。宮尾登美子さんの小説「蔵」も
そんな人が主人公です。高田ゴゼさん達や門付けして歩
いた津軽三味線などの人が多いのも、そのためだと思い
ます。
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-29 22:41
☆unburroさん
風間杜夫さん演じる熊虎さんが出てきたことで
周りのみんなが生き生きと輝き出したように思いました。
unburroさんは演じることについては特別な想いを持ってらっしゃるはずだから
なおのこといろいろ感じることがおありだったろうと思います。
近江八幡、すごく良かったですよ、ぜひお出かけください。
で、いつの時代も女性は凄いです(^^。

Commented by pallet-sorairo at 2015-03-29 22:48
☆インレッドさん
えっ?!
山から帰って来てからも夜遅い再放送をご覧になってたのですか?!
マッサンとエリーが泣いて喜びそう(^^ゞ
私も盲目の三味線弾きの門付け芸人と言うと「瞽女(ごぜ)」と思っていたのですが
『奇跡の人』の中ではこの地方では「ボサマ」と呼ばれるとありました。
そうですか、血族結婚が多かったのですね。
なんだか切ないですね。
Commented by shizenkaze at 2015-03-29 23:27
テレビドラマは一切見ないので物語の内容は判りませんが後半の話は興味を持って読ませて頂きました・・・・

文学者の中には登場人物の名前を置き換えたりする人もいますね・・・・・
当時用人物だけでなく自分の名前まで置き換える人もいますしジョークのような言葉遊びにする人も多かったですね~
江戸川乱歩の『エドガー・アラン・ポー』は有名ですし二葉亭四迷の『くたばってしまえ』や佐賀潜の『探せん』や矢張双の『やはり そう』等は言葉遊びですね~
私もペンネームとしていろいろ使っていました~(*´∀`*)
Commented by tukinobo at 2015-03-30 08:42
palletさんへ

ヴォリーズ建築について詳しくないのですが
palletさんのレポにたびたび登場するので
だんだんと名前を覚えました。
>「よく見る目、よく聞く耳、よく考える頭、よく働く手足」
小さな子どもだけでなく、大人にとってもわかりやすくて
大事な合言葉だな~と、感心しました。
よく聞く耳、相手の話をきちんと理解しようと聞くことは
なかなか出来ません。



Commented by こんの at 2015-03-30 09:16 x
マッサン
終わりちかくになって、
妻に手をひかれ、一緒に笑い、涙を流しました

ニッカ仙台(作並)蒸留所が近いものですから
昔から竹鶴さんに親近感をもっていました
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-30 16:16
☆shizenkazeさん
マッサンはニッカウヰスキーの創業者が主人公のドラマだったんです。
そう言えば、サントリーの社名は創業者の鳥居信治郎に因んで
鳥居さんを「さん鳥居」ってしたと言う俗説がありましたね。
ブリヂストンは石橋さんをさかさまにしたとか(^^
shizenkazeさんのペンネーム興味深いです。
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-30 16:22
☆yakoさん
私も詳しいわけじゃないのですが
昨秋訪ねた近江八幡のレポを途中で投げ出しちゃってたので
どこかでこのヴォーリズ夫人のことに触れたいと思ってたの。
よく読んでくださって嬉しいです(^^。
ありがとう。
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-30 16:26
☆こんのさん
仙台にもニッカがあるのですね。
我が家はあんまりウイスキーは呑まないのですが
あんなに苦労して日本にウイスキーを根付かせたとあっては
ちょっとは呑んでみないとですね(^^ゞ
Commented by hanamomo06 at 2015-03-30 20:23
こんばんは。
一柳さんのことまったく知りませんでした。
あの時代に国際結婚というのは大変なごくろうがったと思います。
ここに行きたい!そらいろさんのおかげです。

マッサンもよかったですね。
マッサンのタイトルお上手ですね。

若い頃ニッカの作並工場へ友達と行った事がつい昨日のようですが、30年以上もたちました。
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-30 21:01
☆hanamomoさん
私も現地へ行って初めて一柳満喜子さんのことをはっきり意識したのです。
ハイド記念館は要予約ではなかったはずですが、事前に一報を入れられた方がよいかもしれません。
私たちは元教員だったという方に詳しいガイドをしていただいた上、ちょっとした成り行きから、満喜子さんが名付け親だというここの館長さんからちゃっかりお茶と手作りお菓子までごちそうになっていろいろお話し伺ったのでした(^^ゞ

hanamomoさんのところで見たきれいな色のシードルを載せたかったのですが
手に入らなかったのでちょこっとタイトル描いてみました(^^;
Commented by 本所傘屋 at 2015-03-31 10:23 x
知らないことばかりでした。
朝ドラも今回シリーズは見ていないのでチンプンカンプン・・・・。
でも写真が綺麗なので、スクロールしてしまいました。
Commented by pallet-sorairo at 2015-03-31 21:55
☆本所傘屋さん
私も知らないことばかりだったんです(^^ゞ
朝ドラは、私もあんまり見てはいなかったんですが
風間杜夫さんが出るようになった時にたまたま見たら
一気に引き込まれてしまいました。
近江八幡もお仕事ではなく、今度は奥様とご旅行でぜひ♪
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
line

=私の山歩き街暮らし空の色= 散歩道でみかける鳥や虫や花も。


by pallet-sorairo
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite