秋の旅@滋賀 7 安土城跡
2014年 12月 02日
安土城址は、歴史好きの夫の行きたかったところ。
歴史音痴の私は「石垣しか残ってない所なんか面白いのかなぁ」なあんていう程度(^^ゞ
「あららぁ 信長って…」っていう程度には思うわけです。
さて、まずは天主跡へ向かいます。
途中で伝羽柴秀吉邸跡や伝前田利家邸跡などを見ながら大手道を上りますが、
この道(石段)が歩幅は合わないは段差が大きいわで、とても歩き辛い。
攻められにくくなってるんでしょうね、きっと。
普請には近隣の石材が集められたようですが、
石垣に使われた仏足石だけでなく小さな石仏も石段のあちこちに使われていて、
なんだか太平洋戦争時代末期の金属供出を彷彿とさせるなぁなんて思ってしまいました。
なるほど、天主への道はおいそれとは先が見えないようになっています。
広く平らな本丸跡を通り、天主跡にやってきました。
1.2mおきに礎石が整然と並んでいます。
標高199mの安土山は、現在は四方とも干拓により陸地となっていますが
当時は琵琶湖の内湖に囲まれて南方だけが開けた地形だったとか。
安土城址はこれでおしまいかと思っていたら、あら、途中で違う道を行く帰り道があるようですよ。
もちろん行ってみます。
安土城築城の折、信長が他所から移築して自らの菩提寺にしたという摠見寺跡。
天主跡に何人かいた人たちはこちらへは来なかったとみえて、とっても静か、
日差しも気持ちよくて、なんだかお昼寝でもしたくなるような長閑な雰囲気です。
摠見寺本堂跡の石段を下りると見るからに古びた三重塔が。
塔の入口脇に墨書きの説明板が打ち付けられているのですが、それももうほとんど読めません。
夫が「重文って書いてある」と言うので目を凝らすと、ほんと!かすかにそのような文字が見えました。
古びてはいますが、真下から見上げてもこの美しさ。
帰宅してからも、私にとっては何が美しく見えたのだろうと考えていましたが
改めて写真を見て、
すっきりとした軒下の木組みと本瓦葺き屋根の瓦の先の丸の繰り返しとが
よく調和しているからかなと思い至りました。
さらに石段を下ると、二王門(楼門)が見えてきました。
なんだかひっそりしすぎて、打ち捨てられたような雰囲気の境内なのですが…。
この門も美しかったです。
門内に安置されている金剛力士像とともに、この門も重文なのだそうです。
さて、大手道に合流すればすぐ山の麓です。
「侍たちは、この石段上ったり下りたりしてトレーニング代わりだったんじゃないかな」とは夫の弁。
受付で「杖も用意してありますよ~」って言われたけれど、
冗談じゃなく途中で「借りてくればよかったかなぁ」なんて思っちゃったものね(^^ゞ
往きのタクシーの中から。
残っているのは石垣だけと思っていた安土城跡、
美しい三重塔と二王門を見ることができて、私にとっては思いがけず忘れがたい場所となりました。
この日は朝一番で長命寺へ行き、帰り路の途中でヴォーリズ記念病院へ寄り道。
八幡堀でお昼ご飯の後川べりを散策し、午後はまち歩きで残していた市立資料館と旧家2軒を見たのち電車で安土へとけっこう移動距離の多い一日でした。
盛りだくさんだった近江八幡の旅もこれにて終了。
すぐ近くの観音正寺もとてもいいって聞いたんですが、時間切れかな。
また今度。
2014.11.13.(木)
(往)近江八幡13:16-安土13:19 @190
(復)安土15:21-近江八幡15:25
★ここはバスがないので安土駅からタクシーでの往復でした(@850)。
★写真の多くはクリックで拡大します。
★3日間のおおまかな行程表は《秋の旅@滋賀1》にMEMOしました(こちらから)。
本当に迷惑な奴だったと思いますね。
石仏を人が踏みつけて歩く階段に使うのにもびっくりでしたが
仏足石を石垣に使ったって言うんですから開いた口がふさがりませんでした。
まっ、そこまで行くと返ってなんて痛快な男なんだろうと思わないでもなく(^^ゞ