そらいろのパレット

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続・サイパン島で春休み

(こちらから)続きます。 


第2日 4月1日(土)
きょうは朝の9時からお昼を挟んで夕方までの7~8時間、
現地の「慰霊巡礼ツアー」を利用して第二次世界大戦の戦跡をたどります。
個人では行けないような場所やジャングルにも足を踏み入れるとか。

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<アギガン岬からテニアン島(写真右手前方)を望む>

私たち家族5人とガイドさん(現地在住約30年の日本人女性Oさん)と
現地人ドライバー・リチャードさん計7人での旅、
どんな一日になったでしょうか。




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二時間ほどあれば車で南北を繋いでしまえるという小さな島でしたが
訪ねたところが沢山あって記憶があやふやになっているので、
撮った写真を見ながらひとまず時系列で書き出してみました。

午前/①日本人墓地 ②アギガン岬 ③サイパン空港(旧アスリート飛行場) 
   ④極楽谷 ⓹タボチョ山(島内最高地点474m) /昼食(ガラパン)
午後/⑥野戦病院跡 ⑦マッピー岬(バンザイクリフ)⑧ラストコマンドポスト 
   ⑨マッピー山(シューサイドクリフ/自殺の崖) ⑩パウパウ海岸 ⑪地獄谷

こうすることでやっと自分の行ったところがはっきりしました。
11か所ほど訪ねたようです。
いただいた戦跡地図には45か所が載っていたので、それでも1/4ほど。
…というより、この小さな島全体が激戦地であったということなのですが。
では、出発。




①日本人墓地

一日の初めはホテルにほど近い場所にある日本人墓地を訪ねた。
墓地とあったが、満開のブーゲンビリアに囲まれたこじんまりとした場所には
島に移住した日本人が四国八十八か所を模して島のあちこちに立てた札所の石碑を
移動したものなどもあって、
私はどちらかと言えば慰霊の地としての場所なのではないかとの感を持った。

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<マウントカーメル大聖堂/入国した日に空港からホテルへのバスの中より撮影>

道路を挟んで向かいの製糖工場跡地に建つマウントカーメル大聖堂は、
スペイン統治時代に建てられたサイパン最大のカトリック教会(1949年に再建)。
ガイドさんの説明で、サイパンは日本・アメリカに統治される以前に
スペインはもちろん、ごく短期間ドイツにも統治された歴史を持っていることを知る。
★サイパン島(Wikipedia




②アギガン岬

岬に残るトーチカ内部からテニアン島を望む。

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あの島から
1945年8月6日、原子爆弾を積んだ爆撃機エノラ・ゲイが広島へ向けて飛び立った…。

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観光に楽な移動時間とつい最前喜んだ移動時間はまた、
爆撃機が目的地へと往復できる距離でもあったと聞いて、
この小さなサイパン島が何故激戦地になったのかが実感としてわかり、
自分の想像力のなさに愕然とする思いがした。 
★トーチカ(Wikipedia


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岬の崖の上の岩場にはサンゴの化石がいっぱい。
※現在は島の汚水処理場内なので見学するには許可がいるようだった。





③サイパン空港(旧アスリート飛行場跡)

土台だけが残っている酸素製造工場や壁面が残っているや発電所跡などが並ぶこの場所には
島内のあちこちから集められた戦車などが展示?されている。
フェンスの向こうすぐそこには、現在のサイパン空港管制塔が見えていた。

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飛行場内に今も点々といくつも残る防空壕。
中に入ってみたが、三角形になっている内部の頂点部分の高さ(天井高)が成人男性の身長ほどだった。
厚いコンクリート製の周りをさらに土で囲ってカモフラージュされている弾薬庫も
当時の姿そのままに(いや、周りを囲む土に生えている樹々はたぶん当時よりだいぶ大きくなって)
残っていた。

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日本軍戦車。
アメリカ軍の戦車は3倍の厚みがあったそうだが
常夏の国でこの鉄の塊の中に入り戦うとは…。
タイヤには「明治タイヤ-」「ヨコハマ」という文字が読み取れた。
※ここも、見学するにはたぶん許可がいるのではないかと思われる。




洞窟 / ④極楽谷 ⑥野戦病院跡 ⑪地獄谷

道なき道?をかき分けて、病院や司令部として利用された洞窟も訪ねた。

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ガイドのOさんとドライバーのリチャードさんが鎌や斧?で生い茂る草を切り倒しながら
ぬかるんだ道を行くあとに続いて、ジャングルに足を踏み入れる。

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ここから見るとなんとも長閑な風景だが、
向こうに見える山と山の間の窪み部分がこの日最後に訪ねた「地獄谷」と呼ばれる場所。
ここが実質的に日本軍の最後の司令部があったところだという。
「極楽谷」も「野戦病院跡」も同じような状況で、
いずれも「絶望」という言葉しか思い浮かばないような場所だった。
ちなみに「極楽谷」とは、川のない(天水に頼っていた)サイパン島にあって
雨季にはきれいな水の流れる小さな沢があり水が確保できることから名付けれらたとのこと。





⓹タッポーチョ山

サイパン島最高地点のタッポーチョ山(474m)にも上がった(車で)。
山頂からは、サイパン空港も私たちが泊まっている首都ススぺにあるホテルもしっかり見える。

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<タッポーチョ山から島南部を一望する>

ここからは島内が360度眺められ、
群青色の太平洋と水色のサンゴ礁の広がるフィリピン海が島の左右に望める素晴らしい場所だが、
ということは、軍事的にも大きな意味を持つ場所だった訳でもあるわけで…。

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<帰国の飛行機内から見たタッポーチョ山>

この高地の攻略を巡って
1944年6月、10日間に及ぶ激しい戦闘があったことが山頂の案内板に書かれていた(一部抜粋)。

1944年6月25日、第8海兵連隊の小隊が現在地からすぐ下にある険しい傾斜をよじ登りタッポーチョ山頂上をとうとう攻略したのである。日本軍守備隊は、山のふもと近くで激しい戦闘をまじえており、海兵隊が山頂に着いた時には誰もそこにいなかった。




崖 / ⑦マッピー岬(バンザイクリフ) ⑧ラストコマンドポスト ⑨マッピー山(シューサイドクリフ)

海と山の崖。

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<マッピー岬(バンザイクリフ)>

ずっと以前からこの島に住んでいた現地民、
日本本土から新しい生活を夢見て移住してきていた民間人
戦争さえなければ、故郷の海辺や里や山でひっそりと漁業や農業を営んでいたはずの兵士たち…


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<マッピー山/シューサイドクリフ>

人々が追い詰められてこれらの崖上に立った時の気持ちを思うと
胸中如何ばかりだったかと私は胸がいっぱいになってしまった。


このマッピー山の崖下に⑧ラストコマンドポストの跡という場所があったが、
ガイドさんによればここは監視所跡であって、
本当の最後の日本軍司令部はあの地獄谷の洞窟だとのことだった。





⑩パウパウ海岸 & サイパン島の今

「パウパウ」とはサイパンの現地語で「良い香り」という意味で、
白砂がずっと続いていてその名のとおり美しい海岸だった。
戦跡を巡って少々疲れた私たちに少しほっとししてもらおうと立ち寄ったのかもしれない。

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<パウパウ海岸でサンゴのかけらを拾った>

ここには2005年まで日航ホテルがあったが、
日本航空が撤退するのと同時にサイパンへの日本人観光客が減少し
ホテルも売却してしまったとか。

今は中国や韓国資本が進出して島の様子も少しずつ変わってきたとは現地の方たちの言。
中国やロシアからもビザなしで来れるアメリカとあって、
観光客も中国や韓国からの人ばかりのような感があった。


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<ホテル前のビーチからズーム>

カヌーやシュノーケルを楽しんでいるビーチから彼方に目をやると、
沖にはいつも何隻かの大型船が停泊していてる。
夜には灯りが点いてきらきらととてもきれいだ。
「あの船は何ですか?」と問えば、アメリカの軍艦だとの答え。
いったんことが起こればすぐに出動できるように待機しているのだという。
手前に見えるのはサンゴ礁に残された錆びた戦車…。

この美しい海に囲まれた小さな島は、かつても今も戦争を背負っていることを
ひしひしと感ぜずにはおれない場所なのだった。



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長々とした戦跡めぐりツアーレポ、最後まで読んでくださってありがとうございました。
ごくかいつまんで書いたつもりなのですが…。
私はこのツアー自体もけっこうハード(精神的にも肉体的にも)だなあと感じましたが、
いろいろ思い出しながら書いていると戦争の悲惨さや愚かさに思いが至って、
書くのもいつになくとっても疲れてしまいました。
とても学ぶことの多い一日ではあったのですが。





★明日は、気分を変えて(^^ゞ海に入ります。
 続きは(こちらから)。
★写真はクリックで拡大します。



by pallet-sorairo | 2017-04-10 10:43 | | Comments(6)
Commented by こんの at 2017-04-11 07:36 x
手前1939年生まれですので、大戦(敗戦)の記憶あり
マッピー岬(バンザイクリフ)の海の青さに胸キリキリ

労作に感謝し、拝見
次作も待っております
Commented by pallet-sorairo at 2017-04-11 10:15
☆こんのさん
けっこう重い一日だったのでさらりと流したくて
行った場所を羅列しただけのレポになってしまいました。
読んでくださったこと感謝いたします。
コメントありがとうございました。
Commented by sternenlied2 at 2017-04-11 17:59
重い一日だったというの分かります。
歴史的に重要な場所なのでしょうが、
こういう土地を訪れるのってなんだか
恐ろしいような気もして勇気がいると思います。
Commented by pallet-sorairo at 2017-04-11 21:43
☆sternenliedさん
戦跡を訪ねると言っても有名な2・3か所をささっと巡るのだろうと思っていたのです。
実感として迫るものがあって、いろいろ考えさせられてしまいました。

釈超空の歌、ありがとうございました。
Commented by PochiPochi-2-s at 2017-04-11 21:54
こんばんは。
記事を読ませてもらって、父のことを思い出してました。
父はボルネオ島の横にくっつくように位置するハルマヘラ島
というところで終戦を迎え、インドネシアで捕虜生活を送り
ました。戦車隊だったので、ジャングルの中で零戦のための
滑走路などをつくっていたそうです。
後に聞いた話ですが、幸いにもハルマヘラ島はアメリカ軍の、
ニューギニアからフィリピンへの進軍のコースから外れたから
助かったのだと言ってました。もし父の所属する部隊がその
コースの中の島にいたならば、おそらく全員死んでいただろう、
父も死んでいただろう、戦後生まれの私の存在もなかっただろう
と思いました。母の従兄弟はニューギニアで戦死しました。
わたしたちの過ごしてきた時代はいかに幸せな時代だった(まだ
続きますが…)かよくわかりますね。


Commented by pallet-sorairo at 2017-04-12 10:18
☆PochiPochiさん
従軍されたお父様だけでなく、
身近に戦没なさった方もおられるのですね。
今回は、木々に覆われてしまった滑走路の場所なども
マッピー山から足元に見て来ました。
戦闘のかたちもそのころとは全く違っているはずですが
愚かな行いであることに違いはありません。
難しいことは抜きにして戦争は嫌だとつくづくそう思います。
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