後継者がいない


家の前で畳を張り替えている職人さんを眺めていたことを思い出します。
太い長い針で畳表を縫っていた。
そのあとはもうそんな職人さんが出かけてくる作業は無くなって。
作業場に持って帰るシステムになりましたが。
フランスでも色々な個人商店がなくなっていきます。
それも田舎になる程多くて、キャフェやパン屋が姿を消してどうするのよ。。
と言いたくはなるのですが、
車時代のこと。。みんな大型スーパに行ってしまう。
ただしこの頃の自転車ブームで、
パリでは自転車のメンテナンスをする店はまた出来てきました。
それにしてもご夫君はご自分で修理をなさらないのですか?
裏返しでもいい匂いがします、脳の奥にしまいこまれた記憶のなかから匂い立ってきます。
畳替えをした日の思いでも。
言われてみて思い出しました! ありがとうございます!!
家の前の道路に台を置いてそこで張り替えていたんでした。
懐かしい光景、すっかり忘れていました。
『饅頭屋卵屋ブリキ屋酢屋酒屋昔はみんなあった我が村』
↑ 27日の朝日歌壇にあった歌です。
フランスも日本もいずこも同じ秋の夕暮れというところでしょうか。
自分で修理ですか? はて(^^??
青畳の匂い、道端で仕事をする畳屋さん。
そうでした。
暮らしの中で日常的にそんな風に大人が仕事をする姿を見ながら、
私たちの世代は育ったのでした。

徐々に街が、町の人々の交わり方が、変化するのを感じています。
昔は職人さんが店先で仕事をしてので、近所の人は、時に子どもは勝手に人の店(家)に入ったものですが、今はそうした雰囲気はありません。時代の変化で仕方がないのでしょうね。
ちなみに、僕の町会の町会長は畳屋で現役の職人で、今も頑張っていますが、俺の代で終わりとも言っています。
いま突然、
分厚いエプロンをかけて靴の修理をしていた靴屋のおじさんの仕事ぶりを
ウインドウ越しに飽きずに見ていた小学生の私を思い出しました。
街のあちこちで職人さんの仕事ぶりを見られたのは
まだクルマ社会になる前だったからかもしれませんね。
つくづく、私たちはいい時代に育ったなぁと思います。
鍛冶屋さんもそうですね。
♪ しばしも休まず つち打つひびき
飛び散る火花よ はしる湯玉〜
と歌った「村の鍛冶屋」という唱歌もないのでしょうね。
実家の近くにあった村の鍛冶屋さんもすでになく、
敷地だけが残っています。
主人の父の出身地、京都北山も北山杉の床柱だけでは
生活できず、後継は職を変えてほとんど京都市内へ。
値の安い外材に負けたそうです。
バブル期に浮かれ、時代の流れに乗り遅れたということも。
今月のロゴ、完成ですか?
靴下の中にはどんなプレゼントを入れてもらえるのかな?
我が家に来る畳屋さんは息子さんがあとを継いだので喜んでいましたが・・・・。
自転車やさんも、雑貨屋さんも今年になって二軒店じまいしました。
たたみの撮りかた、うまい!
昨日秋田出身の高橋萬年の田植えの構図を思い出しました。
そらいろさんの写真はいつも上手いな~と思って拝見しております。
鍛冶屋さんですか?!
我が家のあたりには鍛冶屋さんはなかったと思うけど
プレスやさんがたくさんありました。
思い出してみると、身近にたくさんの仕事を見る機会があったんですよね。
なんとも、寂しいことです。
ロゴの靴下はまだまだ未完成です(^^ゞ
店じまい、なんとも寂しく残念なことです。
個人商店がなかなか立ちいかなくなってしまった世の中は
どこかでボタンをかけ間違えてしまったのかもしれませんね。
写真、ほめてくださってありがとうございます。
コンデジなので画質も荒くてなんだかなぁですが
褒めていただくと素直に嬉しいです、うふふ(^^ゞ