思い出アルバム / はじめての雲取山1969 & さよなら奥多摩小屋2019
2019年 03月 24日
という訳★で、思い出アルバムです。
あの頃このアルバムを使っていましたね。
私もほとんどの写真がこのくっつく(?)アルバムで今更はがすこと
ができないほどぴったりくっついています。
息子さんにされた仮眠の説明に、そうだわぁ〜って。
あの頃、早朝とても早くまだバスの始発の前に最寄りの駅に着いた
時、よくこんな格好で仮眠をしたり、話し込んだり…。懐かしいなぁ
と思い出していました。昔のの長野駅の場合が多かったです。
同じ頃に山に登っていたのですね♪
山小屋も時代の変遷の影響をもろに受けているのかなあ。
今高校で登山部の人気、復活らしいですね。
信じられないことです。学校側は事故発生を恐れて躊躇している
らしいですが……。
謄写版の原紙を切っていたのを思い出し。
母が幼稚園で廃棄処分をされた謄写版用具一式を持って帰って来て。。
私がそれを使って文集みたいなのを作っていたのだったか?
まだコピー機もなかった時代でしたか?
まじまじと読みました、
1969年、すごおおい。
50年前だぁ。
もみじがちゃんと残ってるし、笑。
手描きの線路やバスの移動線
丁寧で簡潔で分かりやすいね。
紙から楽しさが伝わってきます。
すっかり忘れていたものたちが続々出て来て(^^ゞ
懐かしいですよねこんなアルバム。
奥多摩小屋はもともと素泊まり小屋なのです。
最近はテン泊の人たちが多いので、老朽化した小屋を再建しても
利用者が見込めないのではないかしら。
雲取山は山頂に立派な避難小屋と営業小屋がありますし。
我が家の子どもたちはガリ版(謄写版)を知りませんでした(^^ゞ
今のようなコピー機が出て来たのは少なくとも10年以上後かと思います。
ガリ版で作った文集、懐かしいです(^^ゞ
私もね、このモミジにはびっくりしました!
萩原朔太郎の詩なんかも書いちゃってたりして、
こういうの作るの得意なヒトいたんですよね、
いやはや、青春ですね(^^ゞ
厚みのある切符も懐かしい!
69年といえば、私は人生初山行きで東京の御岳山に登った年だったと思います。3,4歳のとき。笑
雲取は、パレットさんと同じく3回、学生の時とその後に登りました。
あ~、奥多摩小屋が閉鎖されてしまうのですか…
残念ですね…(;_;)/~~~ この週末はきっと混んでいたでしょうね。
私の学生時代も、まだガリ版にわら半紙でプリントを作っていましたよ。ほんとに懐かしい!!
紛らわしくてごめんなさい。
これが出て来たんで雲取山へは4回行っていたことが判明したので
本文に書き加えました。
3回目は今の山のパートナーゆきさんとの記念すべき第1回山行なんですよ。
この時は三峰口から登って、鴨沢に下りましたが。
echalotelleさんもガリ版使いましたか(^^ゞ
このタイプのアルバム、懐かしい~うちにもあります。
貴重なものが残っているのはpalletさんが物を大切にされているからでしょうね。
奥多摩小屋、先日中を拝見しましたが相当な状態でした。
雨漏りして床が崩れていたり、天井の一部がなかったり、
ちょっと大きな地震か台風でも来たら建物ごと崩壊しそうな感じを受けました。
なにより悲しいのが、登山者が放置して行ったらしきごみがあちこちに・・・
管理側もやる気がないのか、割れ窓理論的な感じ。
悲しかったです。
アルバムって、どこのお家でも残っていそうなので
特に私がものを大切にしてるってわけでもないかもです。
ただ、このプリントだの切符だのをわざわざスクラップしてたっていうのは、
印象深かった山行を物語ってるかもしれませんね(^^ゞ
よくよく見たら二次会、新宿どん底でした(^^;
奥多摩小屋、そんな風だったんですね。
でも、私が覗いた30年程前もなにかうら寂しかったような印象が残っているんです。
残念ですね。